障害法学会創立大会報告 新しい社会法としての障害法――その法的構造と総合支援法の課題 河野正輝(元九州大学・社会保障法) はじめに 障害法学の形成にあたって、障害法を「新しい社会法」の独立した法領域として構想する必要性と必然性について、考えてみたいと思います。 この観点から、あらかじめ社会法概念の形成と展開について簡潔に言及し(1)、そして「新たな社会法」としての障害法における法的人間像・基本原理・法体系を概観して(2)、その視点から市民法ならびに既存の社会法と障害法との緊張関係について触れ(3)、最後に障害者総合支援法の課題について(4)、述べることとします。 1 社会法の概念と社会保障法の社会法的性格 (1)社会法の法思想と概念 社会法の法思想と概念が、ラートブルフ、ジンツハイマーらの研究を手がかりに、わが国では戦前、橋本文雄、菊池勇夫、加古祐二郎らによって開拓され、戦後、沼田稲次郎『市民法と社会法』(1953)、片岡昇「社会法の展開と現代法」(岩波講座・現代法1、1965)等によって深く理論化されたことは周知のとおりです。社会法の概念は多義的ですが、ここでは一般的な用語法に従って、市民法原理(所有権、契約の自由、過失責任)のもとで生み出された社会的不合理を直視して、社会的実在性に則して生存権の実現を図ることを基本原理とする法、として用いることにします。 (2)荒木社会法論の要点 社会保障法の理論は、上記の社会法理論の伝統を受け継ぎつつ、社会法論において首座の位置にあった労働法理論と対比しながら、後続の社会法の一分科として形成されてきたものですが、そのような形成過程において、荒木誠之「社会保障の法的構造」(熊本法学5~6号、1965~1966)は社会保障法理論の形成であると同時に、荒木社会法論の展開(つまり沼田社会法論と異なる側面を有するという意味において)でもありました。 労働法と社会保障法とを対比して、荒木社会法論の要点を整理すれば、 @法的人間像については、労働法では「従属労働者」が法主体であるのに対して、社会保障法では「生活主体」が法主体となる、 A生存権の実現の態様については、労働法が労働関係を媒介として、いわば間接的に生存権を保障するのに対して、社会保障法は直接・無媒介的に生存権を保障しようとする、 B市民法との関係については、労働法では市民法理に対して制限・修正を加えるという関係にあるのに対して、社会保障法では市民法との非競合性、すなわち、「社会保障法は、市民法が法的関心をまったく有しなかった分野――いわば法になじまない個人的生活領域とした分野――を自己の対象領域とするものである」、そして、 C社会保障法の要保障事故概念については、大きく3類型(すなわち生活危険、生活不能、生活障害)へ定型化することが可能である、とする 等を理論の要とするものであった。 (3)荒木説に対する批判 このような荒木説に対しては、 @片岡昇「労働基本権と社会保障の権利」(法社会学会編『社会保障の権利』1967)では、社会保障法の法的人間像を「一定の階級的人間」と捉える立場から、荒木説に対し、「社会保障の権利主体の“社会的”ないし“階級的”地位を不明確とする」との批判があり(佐藤進もこれに賛同)、 A沼田稲次郎「社会法体系と人間像」(法の科学2号、1974)では、社会生活のなかで人間の尊厳に値する生活の営為が何らかの点で阻害を受けていること(阻害とは、損害を受けるというほど当事者、内容などについて特定的に語りえない状況)に着目して、「社会的生活被(阻)害者」と捉える立場から、社会的生活阻害の現象形態の性格に照らし、労働の従属性と、生活の営為において欠乏(want→needs)の状態とにわけて、前者の労働の従属性は従属労働者像と労働法を規定する一方、後者の生活欠乏の諸形態は、生活欠乏者像と社会保障法を規定する、とされた。 要するに、争点は、法的人間像をめぐって、単に「生活主体」と捉えるか、体制的な生活阻害を直視して「一定の階級的人間」、あるいは「社会的生活被(阻)害者」と捉えるか、という点に凝縮されたのです。 B私のささやかな社会福祉法研究では、沼田説に基本的に依拠しつつ、荒木社会法論に一定の補強を加えようと試みました。 1つには、3つの大きな事故概念の定型化にとどめないで、社会的生活阻害の捉え方を発展させるという観点から、福祉サービスの特質を考えるにあたって、単に食事・排泄等の日常的生活能力の障害と見るにとどめる(生活障害の捉え方)のではなく、一個の人格として自由に発展する可能性と欲求を有するにもかかわらず、日常生活諸能力の低下・喪失にともなって、人格の自由な発展まで阻害されている状態(すなわち発達障害)と捉えて、そのニーズを把握することを試みたこと、 第2には、法的人間像としての社会的生活被(阻)害者像を深化させる見地から、 福祉サービスの要援護者は、援助を受ける側であり、かつ援助に依存せざるを得ない状態にある人々である。一方の援助の実施機関・事業者等の側は、その支給に関する裁量権限を握っている立場にある。このような要援護者のニーズの特質、実施機関の裁量権限、社会福祉の一定の専門性に基づく裁量等により、要援護者には自律の制約を含め、程度・性質の様々に異なる従属的地位に置かれること、つまり単に「生活主体」とするにとどめないで一種の従属的地位の側面に注目したこと、 第3には法理念に関連して、こうした従属性の緩和・除去まで射程に入れた法理念として、基本的人権としての生存権に加え、処遇過程における一定の自由・権能と自己決定権を含めた法理念を提起したこと、 などを、荒木理論に対する補強点として付け加えることができるかもしれません。 2「新たな社会法」としての障害法 しかし、これからの研究に求められることは、「社会的生活被(阻)害」あるいは「障害の社会モデル」という捉え方を基本としたうえで、さらにそこから掘り下げて特定の阻害の関係・内容・範囲・程度等を具体的に摘出することにより、障害法における法的人間像を具体的に把握し、市民法および既存の社会法との対抗・補完関係の深化を図ることではないか。つまり、荒木社会法論をさらに深化させることが求められているのです。 換言すれば、合理的理性を有する抽象的人間像(近代市民法における人間像)から取り残され、また身体・知的・精神障害者という一応具体的に捉えられた人間像(既存の社会法における人間像)でも、現実にはほとんど保護の客体としてみなされ処遇されてきた障害者が、これからは地域社会において自立して生活する平等の市民として、法的に位置づけ直されるためには、障害のある人々の社会的属性に沿って、既存の法理の修正・発展を図る「新しい社会法」のアプローチが必要かつ有効であると考えます。 したがって今日、求められることは、近代市民法の批判というよりむしろ既存の社会法そのものへの批判的検討でなくてはならないわけです。 (1)障害法における法的人間像と基本原理 詳しく述べる余裕はないので、結論を急げば、 障害法における法的人間像は、身体的、精神的、知的または感覚的な機能障害のある人であって、機能障害と社会的障壁との相互作用により、社会に完全かつ効果的に参加することを妨げられている人として捉えられます(障害基2条1号、条約1条参照)。ここでは、保護の客体としての「要援護者」像に代わって、社会に参加することを妨げられており、人権の完全かつ平等な保障を必要とするという人間像への転換があるわけです。このような意味で、障害法における法的人間像は、社会全体の仕組みによる構造的な不利益(一種の社会的従属性)を受けている具体的人間ということができます。 そして、障害法の基本原理は、障害を理由とするあらゆる差別(合理的配慮の否定を含む)を禁止すること(障害基4条、条約2条、5条)、自立した生活と地域社会への包摂を支援し地域社会からの孤立および隔離を防止するために必要な地域生活支援サービス(パーソナルアシスタンスを含む)を保障すること(障害基3条、14~20条、条約19条)等にあるということができます(条約1条)。 換言すれば、障害法の基本原理とは、 障害に関して自由権的側面と社会権的側面を分離せず、総合的に保障することにあり、このように、あらゆる人権および基本的自由の完全かつ平等な享有を基本原理とする点において、伝統的に生存権を基本原理とすると考えられてきた社会法〈伝統的な戦後労働法・社会保障法の理論〉とは異なる面を有する、と考えられるわけです。 このような基本原理から演繹される諸権利の骨格は、いわゆる『骨格提言』(2011年8月)において定式化されたように、一定の権利の束と考えられますが、留意すべきは、各権利規定においても、おおむね前段に自由権的側面を記述し、後段にそのための支援という社会権的側面を併記するというように定式化されたことです。たとえば、 @)命の危険にさらされない権利とそのための支援を受ける権利(条約11条も参照) B)自らの意思に基づきどこで誰と住むかを決める権利、どのように暮らしていくかを決める権利、特定の様式での生活を強制されない権利とそのための支援を受ける権利(条約19条も参照)、というように。 (2)障害法の領域(範囲)と法体系 以上の法的人間像と基本原理に基づいて、まず、障害法の対象範囲を、障害基14~30条および条約19条〜30条を手がかりに考えれば、@地域社会へのインクルージョン、A移動、D教育、F労働および雇用、H司法へのアクセス、I政治的・公的活動への参加、などの広い領域から構成されると考えることができますが、肝心なことは、これらが閉ざされた領域とする趣旨ではないということです。 いずれにせよ、障害法の体系は、 障害法の範囲に属する前述の領域において、@)差別の禁止、A)地域で自立して生活する平等の権利、ならびにアクセシビリティの保障が貫徹されねばならないわけですから、法理論としての体系は、次の2つの部門に大別されると考えられます。 第1に、障害を理由とするあらゆる差別の禁止を目的とする差別禁止法の部門 第2に、地域で自立して生活する平等の権利、ならびにアクセシビリティを保障することを目的とする地域生活支援法の部門 第1の差別禁止法部門の法的構造は、諸外国の障害差別禁止法を参照すると、次のような枠組みから成り立っているといわれます(長谷川聡・長谷川珠子「障害と差別禁止法」(菊池馨実・中川純・川島聡編『障害法』第6章)。 @障害(者)の範囲を社会モデルの立場から広く捉える A障害「者」であることを理由とする差別を禁止するのではなく、障害を理由とする差別を禁止する(障害者間の差別や家族に障害者がいることを理由とする差別も禁止の対象) B差別類型として、直接差別、間接差別、および合理的配慮を提供しないことの3類型を定める C障害差別禁止法が私法上の効果をもつ D障害差別問題に特化した独立の救済機関を設置し、専門的知識を有する者による迅速な救済を図る 上記の枠組みを参考に、わが国の障害者差別禁止法の主な争点を挙げてみますと、 @障害者手帳を取得できない程度の軽度の障害者は、偏見等により不合理な取り扱いを受けても、差別禁止の適用対象外となる可能性があるが、それでよいか A障害差別解消法と障害雇用促進法では、障害を理由として「障害者でない者と」不当な差別的取扱いをしてはならないと規定(障害差別解消7条1項・8条1項、障害雇用34条・35条)されていることから、障害者間の差別や家族に障害者がいる者に対する差別、過去の障害・将来の障害を理由とする差別等が規制できない可能性があるが、それでよいか B禁止する差別の範囲が限定的である。すなわち、障害差別解消法8条2項では、民間の事業者の合理的配慮提供義務は努力義務にとどまり、そのほか間接差別が禁止されるとの解釈の余地も限られる恐れがあるが、それでよいか C法的救済の根拠規定を整備する必要はないか。たとえば、合理的配慮の提供義務を定める規定〈障害差別解消7条2項、障害雇用36条の2~4〉から、合理的配慮の請求権を直接導くことはできない(ただし、民法の公序良俗規定、不法行為規定を媒介として、違法無効の確認を求め、損害賠償を請求することは可)が、それでよいか D差別禁止を実現する専門的機関を設置する必要はないか、 等です。 第2の地域生活支援法部門の法的構造と争点については、そのすべての分野に言及することは到底できませんが、その一部として「総合支援法の課題」について後述することとします。 (3)「新たな社会法」としての障害法概念についての小括 @「新たな社会法」とする根拠 障害法の概念について大急ぎで断片的な結論を述べましたが、ここで「新たな」社会法とする理由・根拠について補足しておく必要があると思います。 その理由・根拠はいろいろの側面から考えることが可能ですが、この法領域における人間像が、労働法における「従属労働者」、社会保障法における「生活主体」と異なり、「機能障害と社会的障壁の相互作用により社会に完全かつ効果的に参加することを妨げられている障害者」であることに、障害法を「新たな社会法」と考える第1の理由・根拠がある、と思います。 換言すれば、障害者も従属労働に従事するかぎりで労働法の法主体となり、また生活主体として社会保障法の法主体となるわけですが、障害者は「機能障害と社会的障壁の相互作用により社会参加を阻害される」側面において、障害法の法主体となる、ということです。 第2には、対象となる法領域が、社会参加の阻害にかかわるすべての領域であることから、労働法、社会保障法の対象領域と重なる部分を含みつつも、それを越えて、交通、通信、司法へのアクセス、文化、スポーツ等における阻害を広く独自の対象領域とする、という点も「新たな社会法」とする理由となると思います。 さらに第3の理由として、基本原理に着目すれば、伝統的な社会法が生存権を基本原理とすると考えられてきたのと異なり、障害法においては自由権的側面と社会権的側面を分離せず、総合的に保障することを基本原理とするという点にも、「新たな社会法」とする理由を見出すことができます。 A「新たな市民法」の側面について ところで、障害法は「新たな社会法」ではなく、「新たな市民法」であるとも考えられますから、その点に一言触れておきたいと思います。 @)前述の法体系でごく簡単に触れたように、障害法は市民法本来の自由・平等の実現を直接の目的とする法部門(差別禁止法)と、そのために必要な社会的支援について定める法部門(地域生活支援法)を含むものです。 A)障害法が、伝統的な社会法における隔離・収容という処遇への批判として形成されてきたことを重視すれば、障害法の意義と特質は、むしろ「新しい市民法」という性格側面にあると言うべきです。 B)しかし、その一方で、差別禁止アプローチ(アメリカADAモデル)には、とりわけ重度を含むすべての障害者の雇用と地域生活へのインクルージョンを進めるには限界があったと総括されている(例えば、Samuel R. Bagenstos,The Future of Disability Law, The Yale Law Journal, vol.114, no.1, 2004参照)。このことを踏まえると障害法の将来においては、車の両輪として、新たな社会法アプローチとしての自己管理型支援の法部門(それはもちろん、伝統的な福祉アプローチ(隔離・収容型)に代わるものです)が必須不可欠である、ことも明らかといえます。 C)これらを総合して考えると、障害法学の理論的基礎をなすと考えられる法的人間像が、社会モデルに立脚した障害者という社会的人間像であること、および、この法領域の基本原理が自由権的側面と社会権的側面の総合的保障にあること等を踏まえて、その視座から、合理的配慮を求める権利などのような現実的・特殊的な権利――言い換えれば、市民法上の自由・平等の理念からの普遍的な権利にとどまらない権利――の根拠を築くためには、特定の社会的生活阻害の関係・内容・範囲・程度等を具体的に掘り下げていく「新たな社会法」アプローチが必要かつ有効なのではないか、と考えられるのです。 3 市民法および既存の社会法と障害法との関係  以上の整理をもとに、つぎに市民法および既存の社会法との関係について、少し触れます。 (1)市民法との関係 まず、市民法との関係については、 障害法の形成と発展にともなって、伝統的な市民法秩序に新たな修正が求められることになることは避けられない。つまり「市民法との非競合性」という捉え方にとどめないで、さらに深化させることが求められているわけです。 当面、焦点の一つと考えられるのは、 @差別禁止法の法部門にあっては、 @)市民法上の私的自治原則と合理的配慮との対抗関係の解明と調整、 A)合理的配慮においては、非過重負担の判断基準を一面的・観念的・抽象的に捉えずに従属関係の存在を直視して総合的・客観的・具体的に捉えること、そして B)障害当事者の主体形成を図る(つまり手続きにおける対話の重視)という要請、などの諸点が課題となるでしょう。川島聡会員他著『合理的配慮』ですでに深められつつあるところです。 A一方、地域生活支援法の部門にあっては、 伝統的な民法における制限行為能力制度および法定代理制度と、支援つき意思決定との対抗関係を解明し調整することであり、具体的な方向性としては、すでに @)行為能力制限および法定代理権の範囲の縮減、 A)補助類型への一元化、 B)定期的再審査制度の創設、 などが検討されており、上山泰・菅富美枝教授をはじめ成年後見法学界を中心に議論が深められています。 (2)既存の社会法との関係 既存の社会法(とりわけ社会保障法)との関係については、 たとえば現行の自立支援給付は、長期の施設入所を前提とするサービス体系であって、その限りで自由権の一定の制約を前提とするという限界がありますが、これに対して障害法の地域生活支援サービスは、自由権と社会権の総合的(一体的)保障を目的とするものです。そこに理念・目的の修正・発展が認められるとともに、社会保障法の一部が障害法の形成によって置き換えられていくという関係を読み取ることができるでしょう。 4 障害者総合支援法の課題 総合支援法の課題は、実は、こうした転換を進めることに尽きるといってよいかもしれません。長期的にみれば、自己管理型支援の形成へ向けた改革が課題であると言えます。 (1)自己管理型支援の特徴 改革を検討するにあたり、先進諸国において国際的標準に近いと考えられる自己管理型支援(例として、ここではイギリスのSelf-directed support)の特徴を挙げれば、 @プロセスの特徴は、まず本人中心でかつ地方当局(ソーシャルワーカー)による協働義務のもとに、生活目標(outcomes)→地域生活を営むうえで感じているニーズの判定→生活目標の達成に必要なサービスの利用計画→最終的に支援計画の策定 Aサービス方法の特徴は、パーソナル・アシスタンス方式で、かつ個人予算の決定をもとに、そこから本人に直接払い(ダイレクト・ペイメント)、そしてパーソナルアシスタントの雇用という選択肢 B最終的な費用負担の特徴は、「応能+応益」負担方式 (2)現行法(重度訪問介護)と自己管理型支援との基本的な相違点 @障害支援区分の判定の段階(80項目)では、障害者本人の社会活動等の意欲を考慮に入れることなく、障害者等の心身の状況だけで判定される(障総21条1項、障総令10条2項、厚生労働省令40)のに対し、イギリス(自己管理型支援)では、生命・身体にかかるリスクのみならず、当事者の自立とウエルビーイングに降りかかってくるリスクとして、就学、就労、地域生活、家族生活にかかるリスクまで含まれている。 現行法でも支給決定の段階で、障害支援区分のほか地域生活、就労、日中活動などの社会活動や介護者、居住等の状況、サービスの利用意向等を勘案して決定する(障総22条1項、障総則12条)とされるが、それは客観的なニーズの判定ではなく支給決定機関による裁量に委ねられており、ニーズの客観的判定の権限と支給決定の権限を分離するという原則的なあり方に反する。 Aニーズ判定の機関と手続きについては、現行法では、認定調査員による訪問調査・一次判定・二次判定の手続きが、専門職主体で進められるが、イギリス(自己管理型支援)では、当事者主体でニーズ判定を行うこと、その際必要に応じて意思決定支援を提供することとされている。 Bサービスの利用計画については、イギリスでは、本人中心にまず生活目標(outcomes)を立てて、その目標の達成に必要なサービスの利用計画を本人中心に策定するとされているが、現行法では初めに本人中心に生活目標を立てるという手続き的権利自体が無に等しい。 C実施機関の権限については、現行法では、障害支援区分の認定、支給決定等すべて市町村(実施機関)の権限として規定されているが、イギリスでは調査判定からサービス利用計画の策定と決定まで実施機関は本人中心に協働して行う義務として規定されている。 Dサービスの利用方法については、現行法では、指定事業者・施設の代理受領方式による現物給付に基本的に限られているのに対し、イギリス(自己管理型支援)では、個人予算・ダイレクトペイメント・パーソナルアシスタントの当事者による雇用という方式を基本として、これを少なくとも選択肢の一つとして提供しなければならないとされている。 (3)施行後3年を目途とした障害者総合支援法の見直しの結果 一定の見直しが図られたが、次の改善にとどまっている。 @地域生活を支援する新たなサービス(自立生活援助)の創設 施設入所支援や共同生活援助を利用していた者等を対象として、定期的な巡回訪問や随時の対応により、円滑な地域生活に向けた相談・助言等を行う。 A就労定着に向けた支援を行う新たなサービス(就労定着支援)の創設 就業に伴う生活面の課題に対応できるよう、事業所・家族との連絡調整等の支援を行う。 B重度訪問介護の訪問先の拡大 入院中の医療機関でも重度訪問介護を利用可能にする。 C高齢障害者の介護保険サービスの円滑な利用(1割利用者負担の軽減) (4)わが国への示唆 以上の状況から、結論的に、わが国への示唆を整理しておこう。一方において当事者による自律(自己管理)の尊重という要請と、他方において実施機関における公正決定の要請という2つの要請の両立を図ることに留意しつつ考慮すると、 第1に、受給資格の基準は、障害当事者が地域で自立した社会生活を営むのに必要な支援のニーズ、すなわち現行基準のように身の回りのニーズに限定せず、就学・就労上のニーズ、家族内の役割上のニーズ、その他地域生活関係上のニーズまでを含めて、判定できるように設定する必要がある。 第2に、地方自治体の実施機関は、ニーズの判定過程および支援計画の策定過程において、当事者等と協働する義務を負うことを明文化する必要がある。ここで「協働する義務」には、@当事者が望むすべての参画を保障する義務、A当事者の必要に応じ意思決定を支援する義務、B支援計画を協働して作成する義務が含まれる、と考えられる。 第3に、常時介護を要する障害者等に対する支援において、自由権と社会権を総合的に保障する方法として、@個人予算、Aダイレクト・ペイメント、Bパーソナルアシスタントの雇用等を、選択肢の1つとして利用可能とすることである。 第4に、障害者の意思決定の支援を地域生活支援の一環として構築する必要がある。   以上を要するに、実施機関の裁量権限として考えられてきた法理を、実施機関の協働義務へ改めて法理を構成しなおすことが、障害法への転換の基礎となると言えるのではないでしょうか。