日本障害法学会 第1回研究大会 シンポジウム「障害法とは何か」   2012年12月10日(土) 障害法の構造転換──コメントに代えて       川島 聡  岡山理科大学 □障害法学の構築 1. 従来,障害の問題は,医学,リハビリテーション学,心理学,特殊教育学,社会福祉学,社会保障法学などの諸学で,それぞれの問題関心に応じて研究と教育の対象とされてきた。だが,今日,障害者権利条約の締結に向け大規模な国内法整備が行われるなど障害法制がきわめて大きく変容しているなか,既成の枠組みにとらわれずに,障害と法との関係を根底的に問い直し,障害に関する法(障害法)を理論的・体系的に研究する重要性と必要性が著しく高まっている。 2. 独立した法律学の一分野として障害法学を構築していく際には,少なくとも,研究の起点に障害当事者の経験する現実の問題状況を据え(実学性),障害当事者の主張を重視し(当事者性),他の学問分野の知見から学びつつ(学際性),さまざまな法分野を越えて障害と法の問題を検討し(法分野横断性),研究と教育と実務の関係を深めていく(連携性)ことが必要である(設立趣意書案)。 3. この「障害法とは何か」と題するシンポジウムで,私は,以上のような大きな問題意識を念頭に置きながらも,15分という時間の制約もあるため,ごく簡単に障害法の構造転換と障害法の射程に言及したうえで,3人の先生方の報告に対して質問をする。 □障害法の構造転換 4. もとより障害法は多種多様な法令から成るが,障害法というひとつのまとまった法分野に関して言えば,伝統的障害法から現代的障害法への構造転換が急速に進んでいる,と理解することができる。前者は保護の客体としての障害者観を,後者は人権の主体としての障害者観をそれぞれ前提している。かつては,障害の問題は個人が克服すべき心身の問題であり,障害を克服できない者は保護や恩恵の対象として福祉制度の下で社会の片隅に追いやられても仕方がないとの考え方が強く見られた。しかし今日では,国内的・国際的な障害者運動を背景に,障害者を人権の主体として再定位したうえで,人権を支える尊厳・自律・平等・参加といった概念を障害当事者の視点から捉え直そうとする考え方が広がっている。 5. 伝統的障害法とは,パターナリズム,優生思想,社会防衛思想などの強い影響の下で,障害者を保護の客体として捉え,機能障害の問題性を強調し(障害の医学モデル),機能障害とそれによる不利とに対処するための予防・治療・更生(リハビリテーション)・保護・分離・隔離・施設収容を中心とする法を意味する。その戦後の例として,1947年児童福祉法(施設収容・訓練),1948年優生保護法(不良な子孫の出生防止),1949年身体障害者福祉法(障害克服,保護,更生,職業復帰),1950年精神衛生法(精神病院設置義務,措置入院),1960年精神薄弱者福祉法(施設収容),1970年社会福祉施設緊急整備五か年計画(入所施設整備)などが挙げられる。 6. これに対して,現代的障害法とは,障害者を人権の主体として捉えたうえで,障害当事者の視点(障害の社会モデル)から再構成される人権を総合的に保障しようとする法を意味する。日本では,国際障害者年(1981年)をひとつの契機として,特に1980年代から伝統的障害法から現代的障害法への構造転換の兆候が少しずつ現れるようになった。その例として,1984年改正身体障害者福祉法(参加促進,参加機会への言及),1989年精神薄弱者地域生活援助事業(グループホームの制度化),1994年ハートビル法,1999年改正民法(成年被後見人の意思尊重),2000交通バリアフリー法などが挙げられる。そして今日では,特に障害者権利条約の締結(2014年)とそれに伴う国内法整備により,障害法の構造転換が急速に進むことになった。 7. 日本国憲法の誕生後も,人権を支える尊厳・自律・平等・参加といった概念は障害の医学モデルから捉えられる傾向にあった(伝統的障害法)。しかし,特に障害者権利条約の成立は,尊厳・自律・平等・参加の概念を障害の社会モデル(障害当事者の視点)から構成し直す,ひとつの大きな契機となった(現代的障害法)。今日の障害法制は,伝統的障害法に見られた治療やリハビリテーションなどを重要な要素として含んでいるが,それらを支える障害者観が保護の客体から人権の主体へとシフトするに伴い,それらの具体的な在り方も変容を迫られている(伝統的でありながら現代的)。とはいえ,今なお伝統的障害法の特質をなす障害者観(保護の客体)・障害因果論(障害の医学モデル)・社会的思想(優生思想,社会防衛思想など)は消除されたわけではなく,根強く残されている。 □障害法の射程 8. 戦後日本の障害問題は,中間的次元(障害者小集団)と巨視的次元(障害者集団)において社会問題・政治問題として認識され,実定法的な対応が図られてきた。中間的次元での発展は,身体障害者福祉法(1949年),精神衛生法(1950年),精神薄弱者福祉法(1960年),巨視的次元での発展は改正障害者基本法(1993年)を緒とする。 9. これらの法律は障害者に特化した法であるが,これに対して,憲法,民法,刑法など障害者に特化しない一般の法も,障害法の射程に含まれる。障害者に特化しない一般の法は,障害者にひとしく適用される場合もあるが,障害者を除外する場合もある(たとえば,行為能力の有無,刑事責任能力の有無,選挙権行使能力の有無などによる障害者の除外)。その判断は,基本的には,関連重要能力(注)に関して等しい者を等しく扱えという基準に基づいて行われる。 10. 障害者は,仮に関連重要能力を持ちえたとしても,無知・無理解・偏見・ステレオタイプ・教育不備・情報障壁などの社会的障壁のために能力を欠くとされて(あるいは無力化されて),一般の法から除外される場合がある(たとえば,?唖者の刑事責任能力を否定する旧刑法40条,聾者・唖者・盲人を準禁治産者とする旧民法11条,成年被後見人の選挙権を剥奪する旧公職選挙法11条1項1号など)。また,障害者は,現実に除去可能な社会的障壁が除去されてもなお関連重要能力を持ちえず,一般の法から除外される場合もある。どちらの場合も,障害者権利条約が成立した今日では,現代的障害法に沿った法解釈と法政策が求められている。 (注)能力は,ある特定の文脈において関連的な重要性のある能力(関連重要能力relevant capacity or competence)とそうでない能力(関連非重要能力irrelevant capacity or competence)とに分けられる。これらの能力は,機能障害と社会的障壁との関係の中で制約されうる。関連重要能力と関連非重要能力との区別は非常に難しい場合がある。それらの能力とそこで措定されている人間像(通常人,一般人)は,障害法学の重要な検討対象である。 □質問 11. 以上で述べてきたように,障害法の射程は,障害者に特化した法のみならず,障害者に特化しない一般の法をも含む。そして,現在の日本の障害法は,従来からの連続面として伝統的障害法の性格をなお残しているが,特に障害者権利条約の批准により,伝統的障害法から現代的障害法への構造転換を急激に経験している。この条約に照らして障害法を検討することが,障害法学の重要な今日的課題のひとつである。本日の先生方の報告も,そのような検討の一環として位置付けることができる,と思われる。以下,先生方の報告に対して質問をするが,この質問の内容は,事前に拝見したレジメに基づくものであり,当日の実際の報告がなされる前に用意したものである。 ≪河野教授に対する質問≫ 障害者は生活を送る上で自由権的側面と社会権的側面の両方の保障を必要としており,障害法が自由権的側面と社会権的側面の総合的保障を基本原理とするのであれば,障害法学においては「新たな市民法」と「新たな社会法」の二つの側面がともに重要であり,どちらか一方のみを重視するべきではないように思われるが,このような理解は報告趣旨に沿っているか。 ≪浅倉教授に対する質問≫ 厚生労働省のQ&Aは,障害者雇用促進法の下で「禁止される差別は、障害者であることを理由とする差別(いわゆる「直接差別」……)であり、事業主に差別意図があるもの」であると記しているが(A 2-3),直接差別の成立要件としての差別意図とは何を意味するか。また,そもそも差別意図という要件は必要であるか。 ≪新井教授に対する質問≫ 現行法の後見類型それ自体が条約違反に該当するか,あるいは後見類型それ自体は「最後の手段」として許容され,その偏重的運用が条約違反に該当するか。前者の場合(後見類型それ自体が条約違反に該当する場合),後見類型にどのような変更を加えれば条約に合致するか,あるいは後見類型を完全に廃止する必要があるか。 □文献 川島聡「障害者と国際人権法――『ディスアビリティ法学』の構築」芹田健太郎・戸波江二・棟居快行・薬師寺公夫・坂元茂樹編『国際人権法の国際的実施』(信山社,2011年)479?494頁 菊池馨実・中川純・川島聡編著『障害法』(成文堂,2015年)