累犯障害者とダイバージョン 第1 刑事政策的視点からのダイバージョン 1 ダイバージョン 【設例1】 弁護士Xは、被疑者国選の待機日に、無銭飲食(詐欺罪)の被疑者Aについて出動要請を受けたので、警察署まで接見に行った。Aは43歳の無職の男性。「つかまったのは初めてですか。」と聞くと、Aは小さな声で「わからない。」と答えた。その後も、何を聞いても多くは答えてくれず、たまに答えるときも小さな声で「わからない」とのことだった。 警察によると、Aはつい3か月前に万引き(窃盗罪)で逮捕、起訴され、執行猶予付きの判決を受けたばかりである。それなのに、「わかりません」とはどういうことか。怪訝に思ったXは家族に事情を聞いたところ、何度も警察のお世話になっているがどうすればいいかわからなかったという。このまま通り一遍の弁護活動をしていただけでは、おそらく実刑になってしまうだろう。なんらかの障害があるように思うが、支援につなぐことはできないか。 2009年 地域生活定着支援事業(現:地域生活定着促進事業)=出口支援     →受刑中に地域や家族とのつながりが断絶している。      生活の痕跡がまだ残る刑事司法のもっと早い段階で支援を。    刑事処分の対象とするよりは、治療やケア、社会生活の支援による更生支援を 〇本発表における「ダイバージョン」:  被疑者に障害や認知症などの疾病が疑われる場合において、起訴されれば確実に刑事処分が見込まれるケースにつき、刑事処分によるのではなく、治療やケア、社会生活の支援を早期に構築し、地域での更生を支援すること。 2 障害者とダイバージョンに向けた関係機関の取組み ? 弁護士会による取組み  ア 弁護士会と福祉専門職との連携  ・各都道府県地域生活定着支援センターと事実上連携している弁護士会  ・都道府県社会福祉士会との連携協定を締結している弁護士会  イ 勾留状への障害情報の付記  ウ 触法障害者刑事弁護名簿の作成と運用 ? 法務省(検察庁)による取組み  ア 平成28年12月 再犯防止推進法成立←検察庁が入口支援を手掛ける根拠  イ 社会福祉士職員の任用→検察庁更生支援計画の作成  ウ 保護観察所・少年鑑別所と連携した入口支援 ? 地方自治体による取組み(例:兵庫県明石市)  ア 更生支援ネットワーク会議    明石市及びその近隣市所在の矯正施設、保護施設、専門職団体、地域団体等37団体・機関で構成する「更生支援ネットワーク会議」を開催(年1回)。  イ 更生支援コーディネート事業     検察庁、矯正施設、保護施設等と連携し、障害や認知症が疑われる被疑者、被告人、受刑者のうち、明石市民を対象として釈放前の福祉的支援のコーディネートを行う。現在は、専門の社会福祉士が所属している明石市社会福祉協議会へ委託している。  ウ 明石市更生支援・再犯防止等に関する条例     上記の施策の法的根拠として、地方再犯防止推進計画に代えて、明石市更生支援・再犯防止等に関する条例を制定。 3 課題★1 ? 検察官の訴追裁量   被疑者段階の更生支援の取組み及び営みを、検察官の訴追裁量に係らしめることで、訴追裁量の幅と、検察官の権限がさらに大きくならないか。 ? 福祉の強制   被疑者が医療・福祉的支援を受容することが起訴猶予の条件となる側面は否定できないことから、被疑者の受援に「強制」の要素が生じる。 ? 「再犯防止」と福祉   医療、福祉を担う人々の「支援」という役割と、再犯防止という刑事政策上の目標とが調和するのか。 ? 司法福祉連携体制の確保   「医療・福祉の専門知識のない司法関係者」と、「司法の専門知識のない福祉関係者」の連携をどのように確保するか。 第2 「障害者とダイバージョン」における弁護人の役割 1 弁護人の役割  役割1 手続的正義実現を目的とする弁護活動(憲法31条)  被疑者、被告人の防御権を保障し、適正手続に沿った刑事裁判を受ける権利の保障を目的とする弁護活動。  ・ 被疑者被告人の権利告知に関する合理的配慮  ・ 取調べの録音録画申入れ、起訴後の録音録画の証拠開示と検討  ・ 取調べの立会申入れ  ・ 調書(乙号証)証拠意見の検討  ・ 被告人の理解力に即した訴訟指揮の申入れ  役割2 「適切な量刑評価」を目的とする弁護活動〜生活環境調整〜  不起訴、執行猶予等早期の身体解放と、公訴事実記載の行為に対する被告人の障害の影響の適切な量刑評価を目的とした生活環境調整を主とする弁護活動。  ・ 被疑者・被告人に何らかの障害があることの証明(診断、手帳発行)  ・ 通院先医療機関・確実な収入(生活保護・障害年金等)・住居・日中活動場所・生活支援・金銭管理支援の確保(日常生活自立支援事業・法定後見制度利用)  ・ 虐待リスクの軽減・家族関係の調整 2 課題:役割1と役割2の役割分担を整理する必要があるのではないか。 ? 役割1 刑事弁護の基礎 自白事件では軽視されがちだが、一部の知的障害にみられる易誘導性の性質にかんがみれば、自白事件でも丁寧な手続保障が必要となる。 (例)湖東記念病院人工呼吸器停止再審事件★2 ? 役割2 弁護人にとって負担が大きい 被疑者被告人との多数回にわたる接見に加え、福祉職との連携、自治体の福祉部署窓口との交渉、ケース会議への(ほぼ無償での)出席など、一般的な弁護士業務では接触することが少ない機関との連絡調整業務は、経済的、心理的に相当の負担となる。  役割2の部分を、福祉専門職や地域の支援者に一定任せられるようにして、弁護人は役割1に専念できないか。 第3 再犯防止推進法の影響とダイバージョンのこれから 【設例2】 障害者相談支援センターの相談員Zは頭を悩ませていた。 先日、弁護士から突然、無銭飲食で捕まっているAさんの支援をお願いされた。療育手帳も持っていなかったため、センターとして初めてかかわる人だ。聞けば、裁判までのたった2か月弱の間に支援の方針を立てる必要があるという。 ただ、留置施設ではAさんはなかなか話してくれなかったし、事業所を見学することもできない中で、パンフレットを見せながらイメージづけをしてもらったものの、本当にこの計画がAさんの思いに合っているのか、Zは自信がなかった。そもそも、Aが無銭飲食でつかまっていることを受け入れ先の事業所に伝えてもいいのか。伝えずに紹介するのも、普段からの信頼関係を考えるとできない。何もしなければAさんが刑務所へ行くかも、と弁護士から聞いたので、支援計画を作成した。 おかげでAは執行猶予付きの判決になり、ほどなく釈放された。しばらくは計画どおりの支援を行った。Aは、最初は機嫌よく通っていたが、次第に「障害者と一緒にいるのはいやだ。自分は障害者じゃない。」と言うようになり、ついに来なくなってしまった。あれだけ大変な思いをしたのに… 1 再犯防止推進法の影響  「犯罪をした者等」への支援  「国が専門的に検討、支援すべき事務」 →「地方自治体や民間事業者も含め、社会全体で支えるべき事務」へ★3   ≪具体的影響≫ 専門的支援から普遍的支援へ  ・ 検察庁・警察のミッションに「再犯防止のための支援(更生支援)」が法的に位置づけられる。  ・ 地方公共団体も、更生支援に協力する努力義務が生じる→更生支援の普遍化  ・ 地域福祉を構成する福祉専門職、事業所など(地域包括支援センター、居宅介護支援事業所、相談支援事業所、福祉事務所、保健所など)においても、更生支援への対応が求められる。 2 普遍性、持続可能性ある更生支援に必要な取組み ? 地域福祉のスキル底上げの必要性  ・ 今後、検察官と弁護人の間で「障害」をめぐる量刑評価で争いが生じる事件が増える可能性がある。→刑事弁護の守備範囲の変容  ・ 弁護人の役割のうち、役割2は弁護人にとって負担が大きい上、量刑評価に影響がない事件(執行猶予/実刑の判決が確実視される事件類型等)では、弁護活動に更生支援を位置づけるインセンティブが希薄になる。  ・ 警察官・検察官(・刑務所)から、自治体や地域包括支援センター等地域の相談支援機関が、直接支援依頼を受けるケースが激増する可能性がある★4。  ↓ 弁護人・検察官の公判活動から独立して、障害者本人の日常生活を支援する支援者が、本人の更生と社会復帰に向けた(意思決定)支援ができるようスキルアップを目指す必要がある。 ? 今後必要な具体的取組み  ア 支援者が抱く不安・倫理的葛藤の軽減    「犯罪歴のある者を支援する」ことにより支援者に不可避的に生じる、強い不安と倫理的葛藤を、可能な限り軽減する。  ・ 受け入れた被疑者が、他の利用者に危害(暴言、暴行、窃盗、性加害など)を加えた場合、前科を知って受け入れた事業所が管理責任を問われることはないのか。  ・ 今後、受け入れた被疑者から、再度犯罪に及んでしまった旨の告白を受けた場合どうすればいいか。警察に通報しなければならないのか。  ・ 対象者本人に前科があることを聞いた事業所は、どのレベルの従業員まで前科があることを伝えるべきか。  イ 刑事司法手続に関する研修、助言    刑事司法手続に関する知識の研修や、具体的ケースで対応に苦慮した際に弁護士の助言を得られるような体制の整備。    例)現在勾留中の高齢者につき、勾留警察署の刑事からは「5日後に釈放予定だから準備するように」と言われた。しかし、検察庁からは何も言われていない。本当に5日後に釈放されるのか。5日で受け入れ態勢を整えるなどとうてい間に合わないのだが。  ウ 犯罪を禁忌とすることを前提とする法令の見直し★5  ・ 個人情報保護条例    当該個人の「犯罪に関する情報」は、本人同意の有無にかかわらず、実施機関は収集してはならない、という条例が多数存在する。個人情報保護審議会に諮るなどの措置を取らない限り、自治体において被疑者被告人の前科前歴情報の取得を拒絶される場合がある。  ・ 刑事訴訟法239条2項(公吏の告発義務) 「官吏または公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない。」  → 地方公務員が累犯障害者を直接支援すると、再犯時に同条が障壁となるため、信頼関係を築くのに困難が生じる。  エ 前科情報取扱いのルール    矯正施設から提供される前科情報提供のあり方、支援チームを形成する際の前科情報共有のあり方など。 ★注 1) 後藤昭「刑事手続と結びついた更生支援の動向と課題」法律時報2017年4月号(4頁) 2) 滋賀県東近江市の湖東記念病院で、2003年、入院患者の人工呼吸器のチューブをはずして殺害したとして殺人罪で懲役12年の判決を受け、服役した元被告人の西山美香さん(殺人罪で12年服役)につき、大阪高裁の再審開始決定(最高裁で検察からの特別抗告棄却)が出たのち、2019年10月23日、検察側が有罪論告を断念した。西山さんには、軽度知的障害と発達障害があり、易誘導的な障害特性から、捜査段階で自白した可能性が指摘されている(大阪高決平成29年12月20日判時2385号101頁、中日新聞2017年5月28日朝刊「西山美香受刑者の手紙(下)「発達」「知能」検査」)。 3) 再犯防止推進法4条2項(国等の責務)、5条各項(連携、情報の共有等)、14条(就業の確保等)、15条(住居の確保等)、17条(保健医療サービス及び福祉サービスの提供)、24条(地方公共団体の施策)等、国と地方公共団体、民間支援団体か連携協力して、罪を犯した者等を継続的に支援することを求めている。 4) 平成31年度明石市更生支援コーディネート事業相談実績によると、事業開始後の相談件数合計82件(出口支援を含む)のうち、相談元別件数は警察署3件/検察庁18件/刑事施設19件/弁護士4件。 詳細は、「明石市における更生支援の取り組み/明石市」参照https://www.city.akashi.lg.jp/fukushi/fu_soumu_ka/kousei_shien/torikumi/torikumi.html 5) 再犯防止推進法9条(法制上の措置等) 政府は、この法律の目的を達成するため、必要な法制上、財政上又は税制上の措置その他の措置を講じなければならない。