優生保護法国家賠償請求事件・熊本訴訟の概要 2019年11月16日 弁護士 東 俊裕 第1、訴訟の枠組み 1、提訴の目的 1)生きた証としての提訴 2)50年間の優生手術と法改正後20年以上にわたる放置の歴史を社会的に明示 3)解明された事実をもとにした国の責任追及 4)被害の補償と優生思想根絶に向けた被害回復に向けた立法及び施策の促進 2、請求の趣旨 1)被告は、原告に対し、金3300万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え 2)訴訟費用は被告の負担とする との判決並びに仮執行宣言を求める。 3、請求の原因 1)請求原因1(優生手術の実施に基づく請求) 国家賠償法上違法である優生手術の実施による被害の賠償 2)請求原因2(被害回復立法等の不作為に基づく請求) 50年にも亘る障害者への人権侵害状態を回復するための立法やその他の措置を怠ることは国家賠償法上違法であり、その違法な不作為による被害の賠償 第2、請求原因(共通事項) 1、優生保護法(法律第156号、昭23・7・13)の制定 1)国民を「優等な生」と「劣等な生」とに区別し、「劣等な生」が「優等な生」を「逆淘汰」しているとしてその淘汰を目論む「優生思想」を背景として一人の反対もなく成立。 2)優生手術(生殖腺を除去することなしに生殖を不能にする手術)   優生保護法では、優生手術として遺伝性疾患を有する者、ハンセン病に罹患している者への「同意による優生手術」、遺伝性疾患を有する者、遺伝性ではない知的障害者、精神障害者への「強制にわたる優生手術」、「母体保護に基づく優生手術」の3類型の手術が容認。 3)人工妊娠中絶(人工的な手段を用いて意図的に妊娠を中絶させること) 優生保護法では、人工妊娠中絶として「遺伝性疾患を理由とする中絶」「ハンセン病を理由とする中絶」「母体等の保護を理由とする中絶」の3類型の手術が容認。 2、手術件数(昭和24(1949)年から平成8(1996)年までの間) 同意のある遺伝性疾患を理由とする優生手術 6965件 ハンセン病を理由とする優生手術      1551件 遺伝性疾患を理由とする強制優生手術  1万4609件 非遺伝性疾患を理由とする強制優生手術   1909件 遺伝性疾患を理由とする人工妊娠中絶  5万1276件 ハンセン病を理由とする人工妊娠中絶    7696件 3、優生保護法の違憲性 1)憲法13条(個人の尊厳・幸福追求権)に対する侵害 不良な子孫が優秀なる国民を「逆淘汰」するという優生思想に基づいて、原告らはその人格的価値を否定され、その結果として彼らは取るに足らぬ存在として扱われた。 2)憲法13条(自己決定権、リプロダクティブ・ライツ)に対する侵害 優生手術は、幼い年端もいかない原告から生殖能力を奪い、人間であれば誰しも有する子孫を残す機会を奪った。 3)憲法24条(婚姻の自由と家族形成権)に対する侵害 当事者の自由な合意にのみにて成立するはずの婚姻の機会を奪い、人並みの家族を得る機会を奪った。 4)憲法36条(残虐な刑罰受けない権利)に対する侵害 不妊手術は、憲法が禁止する残虐な刑罰の一つとされ、罪を犯した者に対してでさえ許されない行為が、罪を犯したわけでもない原告には許された。 5)憲法14条1項(差別を受けない権利)に対する侵害 国民を優秀な生と劣等な生に分け、優秀な生に対しては決して許されない行為を劣等な生に対してだけ行うのは、差別に他ならない。優生保護法の劣等な生の発生を防止するという目的もその手段としての優生手術も、かかる差別を是認する理由にはならない。 4、優生手術の犯罪行為性(国際刑事裁判所(ICC)に関するローマ規程) 人道に対する犯罪(同規定7条)とは、文民たる住民に対する攻撃であって広範又は組織的なものの一部として、そのような攻撃であると認識しつつ行う次のいずれかの行為をいう。 (g)強姦、性的な奴隷、強制売春、強いられた妊娠状態の継続、強制断種その他あらゆる形態の性的暴力であってこれらと同等の重大性を有するもの (h)政治的、人種的、国民的、民族的、文化的又は宗教的な理由、3に定義する性に係る理由その他国際法の下で許容されないことが普遍的に認められている理由に基づく特定の集団又は共同体に対する迫害であって、この1に掲げる行為又は裁判所の管轄権の範囲内にある犯罪を伴うもの 5、小括 優生手術の実施は、幾重にも人権を侵害するだけでなく、国家による組織的な犯罪として、個人及び障害者集団として彼らの人格及び社会生活を迫害抑圧するものであった。 第3、請求原因1(優生手術の実施に基づく請求) 1、国家賠償法上の違法性 上記違憲性及び人道に対する犯罪行為性から見て、国家賠償法上違法であることは明らか 2、同法上の故意過失 優生保護法は、遺伝性の障害を持つ者が社会を脅かすという優生思想に基づいて成立し、後には、遺伝性ではない精神障害者や知的障害者に対しても、過失ではなく、意図的に、組織的に、長年に亘って行われたもので、まさに故意に基づく行為といわざるを得ない。 3、損害の発生 人間として、最も基本的な子どもや家族を形成する権利を奪われ、人生そのものを否定されてきた損害としては、3000万円を下回るものではない。 4、除斥期間 1)最高裁の基本的な立場(最高裁平成元年12月21日) 民法七二四条後段の規定は、不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと解するのが相当である。裁判所は、除斥期間の性質にかんがみ、本件請求権が除斥期間の経過により消滅した旨の主張がなくても、右期間の経過により本件請求権が消滅したものと判断すべきであり、したがって、被上告人ら主張に係る信義則違反又は権利濫用の主張は、主張自体失当であって採用の限りではない。 2)適用違憲論(民法724条の除斥期間の適用違憲) 平成14年9月11日の最高裁大法廷判決 「憲法17条の違憲審査基準を当該行為の態様、これによって侵害される法的利益の種類及び侵害の程度、免責又は責任制限の範囲及び程度等に応じ、当該規定の目的の正当性ならびにその目的達成手段として免責又は責任制限を認めることの合理性及び必要性を総合的に判断すべきである」 3)適用除外論 最高裁平成10年6月12日の判決及び同最高裁平成21年4月28日判決では、@除斥期間内に権利を行使しなかったことを是認することが著しく正義・公平の理念に反する事情があることA時効の停止等その根拠となるものがあることの2つの要件があれば、除斥期間の適用を認めるべきではないとしている。 4)行為をどう見るか ・本件のような組織的に長期間に亘って法の執行として行われた来た行為を、被害者個人個人に対する一回こっきりの侵害行為と割り切れるのか? ・むしろ、優生思想のもとに集団として迫害され、結果として社会からその人格を否定され、抑圧を受ける状態が、母体保護法への改正後においても継続している側面を強調すべきである。 第4、請求原因2(被害回復立法等の不作為に基づく請求) 1、国会の立法不作為の国家賠償法上の違法性 最(大)判、平成17年9月14日在外日本人選挙権剥奪違法確認等請求事件 立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や、国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり、それが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには、例外的に、国会議員の立法行為又は立法不作為は、国家賠償法1条1項の規定の適用上、違法の評価を受けるものというべきである 要件事実1 原告が憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白である事実 要件事実2 国民の権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠である事実(論点 国家賠償法の存在と機能) 本件被害の特質は、@ 被害の広範性、A 個人被害の重大性と被害回復の必要性、B 自ら救済を求めることの困難性、C 長期間の放置と証拠の廃棄・散逸、D 長期にわたる被害を受けた者の高齢化と尊厳の回復、E長期にわたる優生手術と除斥期間などの諸点が考慮されなければならない。 要件事実3 要件事実2が明白である事実 国会が被害回復立法を行うべき必要性を具体的に認識するに足りる複数の事実が存在していた。 ア 平成8 (1996)年優生保護法が差別に当たるとして母体保護法に改正 イ 平成10 (1998)年国際人権規約委員会からの勧告 ウ 平成11 (1999)年スウェーデンにおける補償制度の運用開始 エ 平成13 (2001)年らい予防法違憲国賠訴訟判決 オ 平成16 (2004)年坂口厚労大臣による答弁 要件事実4 国会が正当な理由なく長期にわたって立法措置を怠った事実 国会が優生保護法による被害救済のための被害回復立法を制定しようと思えば出来たと思われる機会として、一回目は、平成8年に母体保護法に改正された時期である。二回目は、平成10年に、国際人権(自由権)規約委員会から勧告を受けた時期である。三回目は平成13年に「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」を制定した時期である。そして、四回目の機会が訪れたのは、平成16年に行われた参議院厚生労働委員会における福島議員の質問とそれに対する坂口厚労大臣の答弁が為された時期であった。この一番遅い平成16年(2004)年3月を基準にし、被害回復立法を行うための審議討論に3年が必要と考えても、平成19年(2007)年3月には、被害回復措置を取るための相当な期間が経過したと判断すべきである。 2、厚生労働大臣の政策遂行上の不作為にかかる国家賠償法上の違法性 1)被害回復立法に関する法案の準備ならびに閣議決定を得ること 2)各種の被害回復に向けた施策を講じること (1)統計資料を精査することにより被害者数、被害者構成の把握を行うこと。 (2)被害の実態、被害が被害者の人生に与えた影響の重大性の把握を行うこと。 (3)各都道府県に通知ないし事務連絡を発出することにより、可能な限り被害者に関する資料の保全を行うこと。 (4)各都道府県に依頼することにより被害者の生存状況について調査を行うこと。 (5)被害の実態調査を踏まえ、被害回復に向けて、医療、福祉、カウンセリング等の施策を講じること (6)優生保護法の下のなった優生思想の誤りを質すための啓発や地域社会で発生している差別の防止に向けた取り組みを行うこと (7)名誉回復の措置を講じること 第5、仙台地方裁判所判決(令和元年5月28日判決平成30年(ワ)第76号、第581号国家賠償請求事件) 1、仙台地裁の争点整理 1)立法不作為または施策不作為に基づく損賠の成否(争点1) 2)防止懈怠行為(違法行為を防止しなかった)に基づく損賠の成否(争点2) 3)民法724条後段(除斥期間)の適用の可否(争点3) 4)損害額(争点4) 2、原告の主張(仙台地裁の整理) 争点1(立法不作為または施策不作為に基づく損賠の成否) (1)リプロダクティブ権の性質及び被害の重大性 (2)リプロダクティブ権侵害に基づく損害賠償請求件行使の可否 H8時点ですでに、除斥期間経過により請求権は行使できない (3)立法不作為と施策不作為の違法 争点2(防止懈怠行為(違法行為を防止しなかった)に基づく損賠の成否) 憲法尊重擁護義務を負う厚生大臣は、違憲な優生手術を行わせないようにする義務を怠っていた。 争点3(民法724条後段(除斥期間)の適用の可否) 除斥期間の規定を準用する国家賠償法第4条は本件に適用する限度で違憲無効 争点4(損害額) 立法すべきは優生手術による損害の賠償であるから、優生手術による損害と立法府策の損害は同一である。 2、被告の主張(仙台地裁の整理) 争点1(立法不作為または施策不作為に基づく損賠の成否) 国家賠償法により賠償請求の機会は確保されている。被害回復に向けた立法措置は国会の立法裁量に委ねられる。 争点2(防止懈怠行為(違法行為を防止しなかった)に基づく損賠の成否) 除斥期間の経過により損害賠償請求件は消滅している。 争点3(民法724条後段(除斥期間)の適用の可否) 憲法17条は、公務員の行為の態様や違法性の強弱などの個別事情に応じて異なる規律まで求めるものではないので、一般的な法令違憲の審査を行えば足りるのであって、適用違憲を別途行う必要はない。除斥制度には合理性があり、憲法17条に違反するものではない。 争点4(損害額) 立法等の不作為と優生手術による損害との間には相当因果関係はない。 3、仙台地裁の判断(請求棄却) 1)争点1(立法不作為または施策不作為に基づく損賠の成否) 要件事実1(原告が憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白である事実) ⇒ 優生保護法の規定は、憲法13条に違反し、無効ではある。 要件事実2(国民の権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠である事実(論点 国家賠償法の存在と機能)) ⇒ ただ、13条違反に基づく損倍請求は除斥期間の経過により消滅。しかし、優生手術による権利侵害の程度は極めて甚大で損倍請求の機会確保の必要性は極めて高いにもかかわらず、優生保護法の存在自体が請求権行使の機会を妨げるもので優生思想が根強く残っており、リプロダクティブ権を巡る法的議論の蓄積も少なく、違憲の司法判断がこれまで為されてこなかった。客観的な証拠の入手も相当困難な状況であった。これらの事情からすると、20年内にリプロダクティブ権に基づく損倍請求権行使は現実的には困難であった。こなような特別の事情のもとでは、その権利行使の機会を確保するために所与婦野立法措置を取ることが必要不可欠であった。 要件事実3(要件事実2が明白である事実) ⇒ しかし、リプロダクティブ権を巡る法的議論の蓄積も少なく、違憲の司法判断がこれまで為されてこなかった状況下では、必要不可欠であることが、国会にとって明白であったということは困難である。 2)争点3(民法724条後段(除斥期間)の適用の可否) ⇒ 除斥期間の規定は、不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を図るため、20年の期間は被害者側の認識のいかんを問わす、一定の時の経過によって法律関係を確定させるための請求権の存続期間を画一的に定めたものであり、除斥期間の規定は、目的の正当性並びに合理性及び必要性が認められるので、本件にこれを適用することは憲法17条に違反するものではない。