成年被後見人選挙権確認訴訟 第一審判決 2019.11.16 日本障害法学会第4回研究会 弁護士 杉浦 ひとみ(同訴訟弁護団) 〜被後見人の選挙権を奪う公職選挙法第11条第1項第1号の違憲性を争う〜 1 本件訴訟の概要 本件は、 成年後見制度を利用して被後見人となったことにより選挙権を奪われた当事者が、選挙権を侵害するであり憲法違反であるから、選挙権の存在を確認せよと、2011年2月1日、東京地方裁判所に裁判を起こしたものである。   原告となったのは、茨城県に住む1962年生まれ(現在48才)のダウン症の女性。女性の父親は、障がいを持つ人の人権問題に真剣に取り組んできた方で、当事者の自立と尊重を図る制度として制定された成年後見制度の趣旨を信頼して,娘の成年後見を申し立てた。将来の財産の管理に不安があったからである。平成19年2月17日に、家庭裁判所の審判で後見開始となったところ、その後、女性には選挙はがきが来なくなった。これまで成人以来27年、原告は欠かさず両親と共に選挙に行っていたのであり、選挙公報を見ながら投票を行っていた。原告の女性は、「選挙にいけなくなってつまらない.もう一度選挙に行きたい」と訴えている。 公職選挙法第11条第1項  次に掲げる者は,選挙権及び被選挙権を有しない。  第1号「成年被後見人」 2 提訴のきっかけ  被後見人の選挙権剥奪は,「憲法違反だ」という声は、成年後見制度が始まったころから、一部の専門家や障がい問題に取り組む市民の間では起こっていた。なぜ、ここまで放置されてきたのかが不思議なくらいであるが、それは、ひとつには、現行の裁判制度が、具体的紛争の存在を前提にしており、法律自体が憲法に違反していることを第三者が争うことはできないこと(付随的審査制)ために、現実に被害を受けている者が,その救済を求めるために訴えを起こさなければならないからである。ところが、当事者はもともと声をあげる力の弱い方たちである。加えて、マイノリティ−であって社会的テーマになりにくい一方、能力の低さについて公表しながら訴訟を戦うことの負担(精神的、経済的)が大きいことから、諦められていたことがあるように思われた。他方では、選挙権がなくなるから後見申立を控えるという本末転倒な運用さえ起きてきており、「こんなおかしな制度は,当然、改正されていくだろう」というさめた気持ちで放置していたという声も聞いた。しかし、ながら、制度が始まって10年が経っても、この選挙権の剥奪状態は変わらなかった。原告の父親は、「これまでの人生で何度も障がいゆえに差別的な扱いを受けさせてしまった娘に対して、自分が成年後見を申し立てたために娘の選挙権まで奪い、主権者でなくさせてしまった。このままでは死ぬに死にきれない」と慚愧の思いで相談を持ってこられたのであった。 2011年2月の提訴より1年ほど前にこの相談を受けた頃には、被後見人の選挙権の問題は、憲法の本の中にも書かれておらず、ほとんど議論されていなかった。しかし、選挙権を回復させようとすれば、公職選挙法11条1項1号を無効にするしかない、つまり、同条項の憲法違反を訴えるしかないいわゆる「憲法訴訟」として争うことになる。(そんなことができるだろうか・・・)これが第一印象だった。 3 「この裁判は勝てる」との確信 (1)選挙権行使に能力は必要ない。  この問題について一から考えてみる。これまで、憲法の基本書に、「選挙は公務としての性質も持つので能力が必要」と書かれており、何の問題提起もされこなかった。 しかし、選挙に必要な能力はどうやって判断するのか。IQで決めるのか? 大学を出ている人たちでも、情報に流されたりもしているし、むしろ人生の荒波を越えてきた障害のある人の方が「この人はいい人」という見る目はあるのかも知れない。そうなると、そもそも選挙能力とはどんなものなのか。誰がそれを見極めるのか。それを、国の側が定める必要があるが、選挙で選ばれる国会議員がこの能力を決めるはおかしいだろう。選挙権に能力は必要ないという主張をすべきだということで方針が決まった。それは、法的にも裏付けることができる。 ア 法は能力での制限をしていない。  選挙権は、民主性の根幹に関わる主権者としての重要な権利である。憲法は「成年による選挙」という年齢での区別を設けているだけである(15条3項)。つまり、どこまでの能力が備わったら主権者としての具体的権利行使の主体として扱うか,ということについての画一的な年齢をもって区分することにしたのである。ここには、成年間における能力のばらつきも,加齢による能力の衰えも規定されてはいない。これは、憲法が、選挙権の行使主体を、能力を根拠に多数者が判断できることを予定していないと考えるべきである。  自由権規約25条は,障がい者についても差別も不合理な制限もなく「普通かつ平等の選挙権に基づき」投票する権利を保障している。また、日本政府が批准はしていないが署名までしている障害者権利条約も障害のある人の選挙権の存在を前提としている。 イ 被後見人にこそ選挙権を認める意義がある。 @ 被後見人となる者こそ,国などの施策を必要とする者であって、選挙によって国政に声を届ける必要があるのである。 A 主権ある存在であることを宣言することによる意義 被後見人に選挙権があること、選挙権を行使することの意義は、特別な価値がある。すなわち、現実の社会の中で偏見や差別があるも、同じ主権者であるという憲法的保障の意義は何より大きいのである。 (2)成年後見制度の借用は合理性がない  また、仮に、百歩譲って選挙権を行使するのに能力が必要だとしても、その能力の判断に成年後見制度を借用することは許されないはずである。なぜなら ア 成年後見制度は財産管理に主眼を置いた制度である。  現実の成年後見制度の審理においては、家庭裁判所はあくまで財産管理能力を審査しているのであって,選挙権を行使するために必要な判断能力の有無など全く審査していない。 イ 成年後見制度は、権利擁護のための制度であり、自己決定を尊重する制度である。にもかかわらず、権利を擁護しようとすると選挙権を奪われるということは背理である。 ウ 成年後見の申立てをした者は、被後見となることで選挙権を失い、申立をしなかった者は同じ程度の能力の者は選挙権を行使しうるの有無により同じ能力の者が、選挙権に差を生じる不平等は深刻である。また、任意後見制度を利用した場合には、被後見人と同程度の能力になった場合でも、選挙権の制限はないという不平等もある。 オ 海外の法制度をみた時には、選挙権に能力制限を認める法制度もすくなる傾向があるし、また、成年後見制度に選挙権制限を連動させる法制度を違憲とする判決が出ている国もある。 (3)選挙権を回復することの意義 理屈の上では、この裁判は負けないという自信で臨むことができた。しかしながら、原告の父親が訴えた「死んでも死にきれない」ということが、ピンと来ていなかった。やがて、本件について集会を開くようになり、その中で障がいのある子どもを持ったお母さんからの話を聞いた。  「うちの子どもは重い障害を持っていて、知的な能力はとても低いです。でも20才になると投票のはがきが息子にも届きました。私は、「あなたも成人になったのだから選挙へ行きましょう」と話して投票にいくことに決めました。それは、地域の人たちに、こういう子もいるけど有権者なんですよ、と知ってもらいたかったし、成人になった国民としてちゃんとするべきことをしている、ということを示したかったのです。 当日、息子をつれて、投票所である小学校へ行きました。会場に一歩入ると、係の方たちが数人駆け寄ってきて、「何かお手伝いしましょうか?」と右往左往されました。私は「大丈夫です」と答えました。受付のところまで息子と一緒に行き、息子は投票はがきを受付で出して投票用紙を受けとりました。ひとりで投票台のところに行き、そして半分に折った投票用紙を投票箱に入れました。彼が何を書いたのかは知りません。でも、私は、すこしだけ得意げな息子と一緒に投票所をあとにしました。その後、毎回投票に行く息子を、だれも奇異には扱わなくなっていきました。  このエピソードが示す選挙権の意義は、子に期待する親の幸福追求権的な意味合いもある。しかし、障がいを持つ個人が主権者として平等に尊厳ある存在であることを、(本人の意欲や自覚とは関係なく)まさに憲法が個人に保障しているということであって、これにより個人は平等な主権者として胸を張ることのできる象徴的権利としての意味を持つ。またその人が主権者であることを社会に対しても宣言しているのであり、これによって社会からの平等な尊重を実現することになるのである。いわば、心のバリアフリーを制度のバリアフリーによって確立していくのと同じである。 やっと、「死んでも死にきれない」という後見人の訴えての意味がわかった気がした。 4 学者らの支援 (1)学者らの賛同 この訴訟を起こして、何人もの学者から賛同の声があげられている。提訴直前に(平成23年2月9日東京新聞朝刊)では「十分な意思形成ができない人を排除する方が,選挙の公正を歪めるのではないか」(戸波江二早稲田大学教授)また、自己決定の尊重という理念の下につくられた成年後見制度に、禁治産制度のころの選挙権剥奪規定が残ったことについて「立法上の明らかなミス」「高齢社会で制度活用が期待される今こそ,司法は違憲判断をし、政府も法改正に動くべきだ」(高見勝利上智大学教授)とコメントしている。  国側が能力による制限の正当性の根拠として提示してきていた文献(昭和62年出版「憲法演習教室」)を書かれた奥平康弘東大名誉教授が、「公職選挙法11条1項1号で成年被後見人の選挙権を制限することは人権侵害に当たること。行使するものが能力があるかないかで選挙権が制限されているというようなことは、選挙権の公務性からは導かれないこと。能力が低いとされる者は、事実上権利行使をしないことはあるとしても、政治的判断力の有無を国家が判断すべきではないこと。憲法44条は、選挙権を与えるかどうかについて立法裁量を認めたものではないこと。」などを含む意見書を書き下ろして下さり、その中には「今から四半世紀も前に出版されたものであって、当時、今日のような後見制度ができることは、何人も予測していなかったはずです。ことわりも留保もなくこの文書をもって現在引用されることは、私としては不本意なことです。」とまで書かれていたことから、憲法が社会の変化によって大きな影響を受ける要素を持った学問であることを知ると同時に、この裁判が予想もつかなかった大きな動きを巻き起こしていることに鳥肌の立つような思いだった。  また、在外日本人の選挙権制限について違憲判断をした最高裁大法廷判決(2005年)において、当時最高裁判所判事として関わった泉徳治弁護士は同紙上で「選挙権は高い塀で守られなければならない基本的権利、人権と考えられる」と説明をした上で、この基準に照らせば,後見で一律に選挙権を奪うことは許されず,違憲の可能性が強い」と指摘している。 (2)立法府・行政府の動向  ア この問題については、提訴からまもない2011年2月9日の第177国会 衆議院予算委員会で,中根康浩議員(民主党,無所属クラブ)が、「成年後見制度は、権利擁護のための制度であるにもかかわらず、最大の権利である選挙権が被後見人になるとなることについて」質問したことに対して片山国務大臣が、下記のように答弁した。 http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001817720110209009.htm 先般、訴訟が提起されたことは重く受けとめている。精神上の障害により事理を弁別する能力を欠く常況、という要件のもとに被後見人になるわけで、事理を弁別する能力を欠く常の状況にあるということですから、通常は政治参画を期待できないということで、公職選挙法の規定も一定の合理性があると私は思います。ただ、同じような状況にある方で、片や成年被後見人を選んだ者とそうでない者がいて同じような状況にあったときに、一方は選挙権を失う、一方は選挙権を保有する、こういうことが憲法に規定する法のもとの平等に反するのではないか、こういう論点は恐らくあり得るんだろうと思います。  それからもう一つは、そもそも、この成年後見制度というのは、本人を保護する、特に、経済活動に一定の制約を加えることで本人の権利を保全するという意味があり、その本人を保護することの結果、本来であれば広く享有されなければいけない政治参画の機会を奪ってしまうということに結果としてなってしまうことに対する違和感というのは、やはりあるんだろうと思います。  いささか個人的な見解も含めて申し上げたが、制度には合理性はあると思うが、訴訟になったので、その成り行きをよく注視していきたい。 イ 同じく、井上哲士議員(共産党)、谷合正明議員(公明党)も、また、提訴の頃に、委員会での質問を行い、大臣からの有益な答弁を引き出した。 (3)国外の趨勢  訴訟の中では、裁判所は外国の動向に大きな注目をしていた。  ア 先進諸国の状況    先進諸国において能力と選挙権の関係についてみると、概略を述べれば、日本以外の主要国においては,成年後見制度の利用が,形式的自動的に選挙権の制約を伴うことになる国は少なくなっており,逆に知的障害や精神障害のある人でも,成年後見の利用の有無にかかわらず選挙権を完全に有しているとする国が増えている。たとえばEU加盟諸国の中では,オーストリア,フィンランド,オランダ,スペイン,スエーデン,イタリア,イギリスの各国が障害のある人の選挙権に何の制限も加えていないと報告されている。 イ ヨーロッパ人権裁判所2010年5月20日判決    また,成年後見利用により選挙権に制限を加えている国の中で,ハンガリーの制度が,ヨーロッパ人権条約に抵触することが,ヨーロッパ人権裁判所の2010年の判決で判断された。   EU加盟諸国の間では,前述のように障害のある人の選挙権制限を撤廃ないし緩和する動きが顕著であるが,なお後見利用が自動的に選挙権喪失に連動する法制度をもつハンガリーは、同国憲法には,後見に付されたものは選挙権を失う旨の規定が明記されているが、2010年5月20日にヨーロッパ人権裁判所は,同国のこの後見規定がヨーロッパ人権条約に抵触するとの判決を下した(ECtHR, Alayos Kiss v. Hungary, No38832/06,Judgment of 20 May 2010.)。 ウ オーストリアの違憲判決 オーストリアでは従前,成年被後見人(同国では「被代弁人」という名称である。)の選挙権は自動的に剥奪される旨法定されていたが,1987年,同国の憲法裁判所が同規定を違憲と判断し,当該規定は削除された。その後,能力による個別の剥奪を認める新たな立法がなされることなく既に25年が経過し,その結果,成年被後見人(被代弁人)は能力による制限を受けることなく選挙権を行使できるようになり,今日に至っている。 5 違憲判決 2013年3月14日  判決文 http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/641/083641_hanrei.pdf   東京地裁は、選挙に能力を必要とすることは認められるが、成年後見制度を借用して、一律に選挙権を制限することになる公職選挙法11条1項1号は違憲だと判断した。そして、原告に対して「どうぞ選挙権を行使して社会に参加して下さい。堂々と胸を張っていい人生を生きて下さい」と語りかけ、傍聴席から万雷の拍手をあびた。 6 公職選挙法11条1項1号の削除の法改正へ  判決の結果は社会全体が、好意的に受け止めた。公明党が中心となり、自民党と一緒に法改正の検討のPTが作られた。そして、判決から74日の5月27日参議院本会議で満場一致で法律改正がなされた。5月31日公布。  この年7月に実施された参議院選挙では約13万6000人の方の選挙権が回復された。                              以上