成年被後見人選挙権確認訴訟と知的・精神障害者の選挙権 帝京大学法学部 杉山有沙 1 問題の所在  2013年3月14日、東京地裁が、成年被後見人選挙権確認訴訟に対して判決を下した★1 。本判決は、成年被後見人は選挙権を有しないと定めた公職選挙法(以下、公選法)11条1項1号が憲法15条1項及び3項、43条1項並びに44条ただし書に違反すると判断した、初の判決である★2。このような本判決に対して、多くの論者が評価を示している★3。例えば、戸波江二は、「現実の政治への影響力という点では、成年被後見人が13万6000人といわれる中で、国政に大きな影響をもたらすものとはいえない」としつつも、「人権論の観点からは、本判決は極めて重要な違憲判決」であると評価する★4。  このように成年被後見人選挙権確認訴訟は、選挙権という重要な憲法上の権利に対する制限を問題にした重要な判決である。そもそも、憲法学は、本判決以前において、公選法11条1項1号の憲法適合性について本格的な検討をしてこなかった★5。この理由について、成年被後見人の選挙能力に対して浅薄な偏見に基づく消極的評価があったとする意見や★6、日本において私法上の権利は公法上の権利と比較して軽視され、その結果、成年被後見人といった社会的弱者に対する配慮が欠けてきたとする見解がある★7。本判決を契機に、現在は成年被後見人の選挙権は回復されたが★8、そもそも、成年被後見人の対象となるような知的・精神障害者の選挙権を、どのように理解すべきだろうか。本報告では、成年被後見人選挙権確認訴訟の判例評釈ではなく、この点について検討をする。  この問いを検討するにあたり、本判決の憲法判断の枠組みについて確認していこう。そもそも、これまでの裁判で問題になった選挙権の制限のあり方は以下の4つがある。@選挙人の資格が認められない場合、A選挙権の行使が法令等によって制限されている場合、B事実上の原因によって選挙権を行使できない場合、C選挙権は行使できるが権利が一部制限されている場合である。本判決では、@が問題になった★9。  続いて、本判決の具体的な審査枠組みを簡単に確認していこう。本判決では、在外日本人選挙権剥奪違法確認等請求事件最高裁判決(以下、平成17年判決★10 が定立した法理にのっとり、厳格な司法審査基準を採用し、適用段階で、目的・手段審査の枠組みと結合させた★11。これにより、選挙権という権利の重要性を踏まえて、それを制限する立法の目的とその手段が過不足なく厳密に適合されることの要請が導き出された。そして、このことが、公選法11条1項1号の立法目的を達成するための合理的な手段として、成年後見制度を借用するという立法的選択に対して、厳しい評価を生むことにつながった★12。しかし、一方で、立法目的に合理性があるとした点に対して、多くの論者から批判が寄せられた★13。関連して、有田伸弘は、判決には2つの主張が混在していると指摘する。@選挙権は公務としての性格を併せもつから能力が必要であるとする主張とA選挙の公正を害するから能力を欠く者を排除するという主張である★14。特に後者について井上亜紀は、「本判決は、『選挙権を行使するに足る能力』が欠けていても後見が開始されなければ選挙権が付与されている現状から、成年被後見人に選挙権を付与することによって『選挙の公正が害されるおそれ』はないとして、成年被後見人から選挙権を剥奪することは許容できないと判断した」と整理し、この判断に対して井上は、一応妥当であると評価した。その上で、井上は、「選挙の公正の確保」をあげること自体、問い直す必要があるとし、能力に関わりなく不正は起きる現実を指摘する。そして、この理由自体に合理性はないとした★15。報告者も、この見解に同意する。その上で、本報告が取り上げたい問題は、前者の問題である★16。  結論先取り的にいえば、報告者も、成年後見制度を利用する知的・精神障害者であったとしても、憲法学の権利共有主体として想定する個人が具体的な個人ではなく抽象的な個人である以上、知的・精神障害を理由に選挙権の享有を制限することが不合理であるという立場をとっている。その理由を説明するために、成年後見制度を利用する知的・精神障害者の選挙権について、享有と行使という2つの段階に整理して、考察をしていこう。 2 選挙権の享有主体としての知的・精神障害者  そもそも、本判決で問題になっている「選挙権」とは、国民が、主権者として、直接または代表者を通じて、国の政治に参加する権利である参政権の一つである★17。この選挙権について学説では、「国民の基本的権利ではあるが、しかし、公務員という国家機関を選定する権利であり、純粋な個人権とは異なった側面をもち、そこに公務としての性格が付与されている」という二元説が通説である★18。なお、本判決も、二元説の立場に立って判断された★19。これに対して、もっとも有力な批判を唱えるのは権利一元説である★20。権利一元説では、選挙権を人民(プープル)の主権的権利と解すべきだとした上で、政治的意思決定能力をもつ人々が国家権力の行使に参加する当然の権利だとする。選挙権の制限に関して、二元説は、「公務としての特殊な性格に基づく最小限度の制限」とされるのに対して、権利一元説は、内在的制約のみに服するとし、選挙人資格は、「原則として主権行為に必要な意思決定能力のみが要件」とされる★21。こうした選挙権理解において、成年被後見人(旧・禁治産者)は、本判決以前、選挙権が制限される代表的な者として、選挙犯罪者とともに長年列挙されてき★22 。こうした事態に対して、小泉良幸は、憲法の教科書等において、近年まで成年被後見人の選挙権剥奪を違憲と明言されてこなかっただけでなく、選挙人団から除外されるのは当然と評するものもあったという。このように、憲法学が成年被後見人の選挙権問題について鈍感だった理由として、小泉は、「成年者」による普通選挙の保障(憲法15条3項)を、「代表」(43条1項)たる議員に相応しい者を適切に選択できる判断能力をもつとみなされる者によるものへと読み替え、「未成年」同様、かかる能力を欠く者を選挙人団から排除することは正当な立法目的である、と考えてきたからだと分析した★23。この指摘は、妥当といえるだろう。「事理を弁識する能力を欠く常況」にある成年被後見人には「政治意思決定能力」も欠くに違いないという思い込みが存在し、これにより、成年被後見人の選挙権の議論が適切になされてこなかったという指摘は、甘んじて受け入れるべきである。  こうした理論動向の中で下された本判決を受けて、森廣祐也は、個人の尊厳の観点から、成年被後見人をはじめとした知的・精神障害者の選挙権を制限する公選法の立法目的に対して、疑問を呈する。彼は、憲法において個人の尊厳が問題になりうる場面の一つに、公的義務の履行として公的な討議空間に参加すること、すなわち参政権の行使が挙げられるという。そして、成年被後見人選挙権訴訟における東京地裁がいう公選法11条1項1号の立法目的について、「選挙権を行使する者」には「選挙権を行使するに足りる能力」が必要であり、「事理を弁識する能力に欠く者に選挙権を付与しない」ことは合理的であるとした点については、「個人の尊厳」概念から導かれる「自ら投票する意思を有する者に対しては、選挙権の行使を妨げてはならない」という公権力を拘束する客観法的原則に適合しているか否かが問題となると指摘する。その上で、立法目的を検討すると、選挙権の行使に「能力」を要求するという立法目的は、客観法としての「個人の尊厳」と「自ら投票する意思を有する者に対しては、選挙権の行使を妨げてはならない」という客観法的原則に抵触するとし、さらに、そもそも選挙権に必要な能力を定義することという点も考慮要素になるとする。これを踏まえると、公職選挙法11条1項1号は立法目的が合理的であるとはいえず、手段審査を行う以前の問題として、違憲という結論が導き出されるべきであったと結論づけた★24。  森廣の指摘は、興味深い。憲法には、「目的としての人権とその保障を達成すべき手段としての統治機構」という構造があることを意識すると★25、公務としての特殊な性格に基づく最小限度の制限や内在的制約等の一定の限界が存在することも事実であるが、定義困難な能力を用いだして、本人の基本的人権を制限することは不合理であるといえるだろう。  たしかに、実際の選挙制度においては選挙権に関する諸制限が設けられており、選挙に関する諸事項は、国会が(その裁量の範囲内で)定める法律で決めることができ、一定の制限も行うことができるとされる憲法43条2項、44条、47条といった「選挙事項法定主義」に基づいて行われる★26。しかし、選挙権は憲法上保障された重要な権利であり、二元説の立場に立ったとしても、公務性は付加的なものに過ぎないこと、選挙権は公選法により具体化された権利ではないことを踏まえると、その制限について立法裁量を広く認めるべきではないといえる★27。  さらに、選挙権の権利性の観点から、先の「意思決定能力」を「政治的意思決定能力」で解釈した場合、知的・精神障害の有無を問わず、対象者がかなり限定されると考えられるし★28、前述の通り「選挙権に必要な能力」それ自体を定義することが困難である。また、現代の選挙原則には、普通・平等・自由・直接・秘密選挙の5原則があるが、特に、制限選挙に対立する概念で、かつ、現在では平等選挙と不可分とされる普通選挙の観点からいえば、本判決の判例法理の下では、立法目的が合憲であるので、制度さえ整えれば、「障害者」を明文で選挙権資格者から排除することも可能となるので、「障害者」の請求は、普通選挙原則の例外として、認められないことになる★29。これは、障害差別といえるだろう。以上を踏まえると、障害の程度を問わず、知的・精神障害を理由に選挙権の享有を制限することは不合理であるといえる★30。 3 選挙権行使と合理的配慮の要請  前述したように、障害の程度を問わず、知的・精神障害を理由に、特に、「自ら投票をする意思を持つ者」に対して選挙権を制限することを正当化することは困難である。では、知的・精神障害者の選挙権の享有主体性を認めれば、彼らの権利は保障されたといえるのだろうか。知的・精神障害ゆえに、選挙権を行使する際に必要とされる情報の収集や理解、利用の機会が適切に保障されなければ、彼らの選挙権は有名無実なものに成り下がるといえるだろう。そして、本判決を契機に、公選法11条1項1号が改正された現在において、まさに、この点が重大な問題であるといえるだろう。  例えば、立岡晄と橋本佳博は、知的障害者の選挙に関する課題として、@選挙公報などの行政の提供する情報、政見放送などの選挙に関する情報に関する課題とA投票所までのバリアや投票所内での課題等を取り上げた。まず、@についてだが、知的障害者は、平易な言葉に置き換えないと理解が困難となることが想定されるものの、選挙公報の発行回数の制限規定(公選法167条1・2項)により、知的障害者向けに選挙公報を発行できないという問題がある。また、Aについては、投票所まで移動する際に存在する障壁や投票所内の緊張した空気が知的障害者に抑圧として圧し掛かるという問題や、投票に際して記号投票の不認可等という問題が指摘された★31。同様に、植木淳も、知的・精神障害者に限った問題ではないものの、政治参加の権利の前提として、情報・伝達手段としての「コミュニケーションの権利」が阻害される状況に置かれている者の存在を指摘する。具体的には、言語障害のある者が選挙運動用文書を配布したことによって公職選挙法違反の罪に問われた事例などは、発話による選挙運動ができない人の「政治活動の自由」を妨げるものとして批判する。さらに、官報、地方公共団体の広報誌、公立図書館の保有する書籍などに関して、点字版・録音版が提供されていない場合、あるいは、テレビ放送・インターネット情報に関して、字幕情報・スクリーンリーダーなどが提供されていない場合には、視覚障害のある者は、政治参加・行政サービスへのアクセスが阻害された状況に置かれたものと評価されうるとした★32。  選挙権を適切に行使するには、有権者が必要かつ十分な判断資料に接することが必要であり、言論・出版などを通じての選挙運動の自由が不可欠となる。しかし、障害者固有の問題ではなく一般論として、選挙運動が放任されると、買収などの腐敗が生じたり、財力によって不当に支配されたりするおそれがあり、一定の調整が必要といえる。こうした調整の一環として、例えば公選法は、文書図画の利用を広範に規制している(143条・143条の2)★33。一般論として、これらの制限は妥当である。ただし、@知的・精神障害者の選挙権の享有主体性が認められ、かつA憲法14条が規定する差別禁止を具現化する障害者差別解消法が制定された現在において、少なくとも、知的・精神障害者の選挙権行使の際に直面する社会的障壁に対して、合理的配慮を講じないことは、憲法14条並びに障害者差別解消法7条2項に違反するといえる。  特に、憲法14条を意識したとき、合理的配慮法理とは、多数派基準の偏頗的な社会構造が原因で、少数派の個人が相当程度の不利益を被った際に(社会的障壁)、この社会的障壁を緩和・除去するために、合理的な範囲の積極的措置を要求することを義務づけ(合理的配慮義務)、この義務を履行しなかった場合に差別として認定することができる法理であり★34、憲法14条が保障する形式的平等の延長線上にある保障として要請されるものである★35。ここで求められていることは、障害を理由に、本人の能力の発揮や権利利益を享有・行使が妨げられる事態において、正当な能力の発揮や権利利益の享有・行使がなされるように、合理的配慮を講じることである★36。知的・精神障害者の選挙権の問題に即して言えば、立岡・橋本が提示した課題は、まさに社会的障壁の問題といえる。したがって、知的・精神障害者に選挙権が享有されている以上、この社会的障壁を緩和・除去するために、合理的配慮が憲法14条の保障として求められることになる。 4 知的・精神障害者の選挙権保障の意義  本報告では、成年被後見人選挙権確認訴訟を受けて、選挙権について享有と行使の二段階に分けて、知的・精神障害者に対して保障する意義を検討してきた。その結果、知的・精神障害者の選挙権の享有主体性を否定すること自体が理にかなっているとはいえないので、成年被後見人はもちろん、知的・精神障害を理由に公権力が選挙権を制限することは違憲といえることが明らかになった。と、同時に、かりに知的・精神障害者に公権力が立法等を通じて積極的に制限しなくても、現行の社会構造が非障害者を基準とした偏頗的なものであるがゆえに、社会的障壁を理由に、知的・精神障害者が選挙権を適切に行使することができない事態が存在することを前提にして、合理的配慮を講じることで、彼らの選挙権を実効的に保障することが憲法上要請されることも明らかになった。  では、最後に、そもそも知的・精神障害者の選挙権保障を強調する意義について検討していこう。たしかに、選挙権は基本的人権に数えられ、障害者であろうがあるまいが、保障されて当たり前であり、「知的・精神障害者」であることを強調すること自体が、問いとして成り立たない。しかし、それでも報告者がここで強調する理由は、@障害者権利条約の批准に向けた障害者法制度改革の最初期の段階で提出した資料の冒頭で「Nothing about us without us(私たち抜きに私たちのことを決めるな)」というスローガンを紹介しているが、障害者は一般社会から保護される無力な存在とされ、自分の人生を自らが選択し、自らが決定することが許されなかった経験を踏まえ、「一般社会による保護的支配からの脱却と普通の市民としての権利を持つ人間であることを強く訴える」ためには★37、「政治」という場面においても、その主体性を強調することが不可欠であること、そして、A多数決原理を重視する民主制において、ただでさえ、知的・精神障害者は少数派に属することを踏まえると、彼らの選挙権を軽視することは到底許されることではないこと、が挙げられる★38。  杉浦ひとみが、「被後見人こそ選挙権を認める意義がある」とし、その理由について、「被後見人となる者こそ、社会権の受益だけでなく、自らの力で自由権の行使さえも十分できない場合もあり、国などの施策を必要とする者である」と位置づけ、「選挙によって国政にその需要を届ける必要は、極めて高いといわなればならない」と指摘するように★39、成年被後見人をはじめとした知的・精神障害者の利害を国政に届けることは、彼らが保護的支配の客体として位置づけられやすい現実を踏まえると、強調することが求められる。こうしたことを踏まえると、本判決は、選挙権を単なるツールとしてとらえるのではなく、民主主義の根本理念である自己統治に遡って、選挙権の位置づけを論じたとして評価できる★40。  最後に、長谷部恭男は、民主主義の意義については、それが@客観的に正しい政治的決定にいたるための効果的な手段だという立場、A客観的に正しい政治的決定に至るための手段とはいえないが、ともかく政治的決定が必要である以上、民主主義が可能な選択肢の中で最善だという立場、加えて、B民主主義への参加すること自体が人を真に人たらしめる行為であり、決定の当否はともかく参加すること自体に意義があるという立場の3つを紹介する。その上で、Bについて、たしかに公共的事項に関する討議や決定に参加することが人に生きる喜びを与えることはありうるとしつつも、それは、あくまで政治参加の副次的効果にすぎないとし、政治参加が生きる喜びをもたらすのは、自分の参加が結果として社会全体の利益に貢献することができると感じるからこそであると指摘する。そして、自らの努力の結果が社会的利益を大きく損なうこととなったときはどうかと疑問を呈し、Bの立場に対して消極的な評価を行う★41。長谷部の指摘は、注目に値する。特に、成年被後見人に対する選挙権の制限について、本判決以前はあまり問題視されてこなかったことを意識すると、「選挙に参加すること」自体に価値を見出してしまう可能性がある。こうしたことを踏まえると、知的・精神障害者が選挙に参加できること自体に満足するのではなく、選挙権を通じて、主権者として国政に参加し、利害関係の少数派である事実を意識し、その上で、より実効的に自らの利害を国政に届けることができるよう、その法枠組みを今後も慎重に注視していくことが求められる。 ★注 1) 東京地裁判平成25年3月14日判時2178号3頁. 2) 榎 2014: 149, 3) 今川 2013: 54,小島 2013: 11. 4) 戸波 2013a: 37. 5) 榎 2014: 150. 6) 戸波 2013b: 2. 関連して、日本における精神障害者の選挙権の歴史的経緯について[綱森 2015: 18-22]。 7) 富田 2011: 102. 成年被後見人の選挙権の概要と実情、並びに、成年被後見人の選挙権剥奪に関する国会の答弁について[三俣 2011: 107-110, 113-114]。 8) 本判決を受けて、成年被後見人の選挙権の回復等のための公職選挙法等の改正が行われた。具体的には、@成年被後見人に係る選挙権及び被選挙権の欠格条項の削除、A代理投票における補助者の要件の見直し等、B不在者投票における公正確保の努力義務化が規定された[岡田 2013, 高森 2013]。 9) 井上 2013: 103. 10) 最大判平成17年9月14日民集59巻7号2087頁. 11) 糠塚 2014: 108. 12) 小泉 2013: 3. 13) 例えば、戸波は、選挙権侵害について、@立法目的そのもの(「政治的判断能力がない者を選挙から除外すること」)の違憲性、A立法目的達成師団の違憲性が問題になるという。そして、Aは当然として、@の立法目的そのものが違憲であることを主張した[戸波 2013b: 3]。公選法11条1項1号の立法目的として、選挙の公正を挙げられることを指摘し、「政治的判断能力を有しない者」の法規定上の定義や認定手続きが困難であるとし、さらに「政治的判断能力を欠く者」が投票したとしても、選挙の公正は害されるとは言えないとした。したがって、公選法11条1項1号は立法目的において「やむを得ない事由がある」とはいえないと判断した[戸波 2013b: 25]。同様に、今川奈緒も、本判決が成年被後見人の選挙権を認めたことは評価すべきであるが、判断能力の程度によっては欠格条項を設ける可能性を否定していないことは留意する必要があると指摘した[今川 2013: 54]。 14) 有田 2013: 5-6. 関連して、小島は、平成17年判決が選挙の公正確保という大目的に対する意味での手段の深い審査を可能にしたものの、本判決には緊張する2つの見方が混在するという。その1つは、様々な自然的「状況」から離れて画一的に選挙権者を画定するべきだからこそ成年被後見人にも選挙権を与えようとする見方である。そして、これに対して、本判決は、能力の残存などの「状況」を考えて選挙権を有するべきであるとした[小島 2013: 11]。 15) 井上 2013: 106. 同様の指摘として、長尾英彦は、不正投票に巻き込まれるのは、何も成年被後見人のみに限ったことではないし、選挙事務の管理監督や投票補助者の制度の強化などで対応可能と説明した[長尾 2014: 79-80]。 16) 関連して、そもそも、佐藤幸治が指摘するように、そもそも成年被後見人制度は、憲法の視点からは、自由権・自己決定権の憲法的保障を十全にするための法システムであ、「成年者であっても、「判断能力が十分ではない」ところを補い、その人が生を全うすることを助けようとするものであるが、同時に、それに付随してその人の活動を規制するという側面を持っている」ことを強調することが重要になる。つまり、同制度が、過剰な規制となっていないかが問われることは避けられない[佐藤 2011: 138]。 17) 渡辺 2016: 415, 芦部 2019: 270等. 18) 高見 2012: 536-537, 辻村 2018: 311-313. 19) 井上 2013: 104. 20) 倉田 2015: 171. 21) 高見 2012: 537, 辻村 2018: 311-313. 憲法が採用するデモクラシーについての理解の相違に由来して両者の間に激しい対立が存在するものの、具体的な差は意外と小さなものにすぎないと指摘される[高見 2012: 537] 22) 古い憲法学の教科書でいえば、例えば、美濃部が、「ただし受刑者・禁治産者のごとき特別理由があるものがその資格を除かれるるのは、もとより本条〔=憲法44条。報告者注〕に抵触するものではない」と説明し[美濃部 1956: 117]、本判決がくだされるまで、多くの教科書で、同様の姿勢をとってきたことは見逃すことはできない。 23) 小泉 2013: 3. 24) 森廣 2017: 62-63. 25) 高橋 2012: 3. 26) 新井 2016: 243-244. 27) 森永 2013: 126. 28) 井上 2013: 105. 29) 葛西 2013: 20. 30) 本判決以前に成年被後見人の選挙権の制限を違憲だと主張した憲法論文として、竹中 2009がある。 31) 立岡・橋本 2011: 52-55. 32) 植木 2011: 161. ほかに、大岩も、成年被後見人に対する選挙権制限規定が撤廃され、選挙権が認められたとしても、選挙権行使の実質的機会が保障されなければ、成年被後見人の選挙権が本当の意味で保障されたとはいえないであろうし、成年被後見人にとって選挙権というものは形骸化した権利になるという[大岩 2011: 66]。 33) 佐藤 2011: 411-415, 高橋 2017: 350-352等. これらに関して、浦部法穂は、「戸別訪問の禁止などの選挙運動の宣言は、選挙の場における国民の表現の自由に対する不当な制限として、21条違反とすべきものである」と批判する[浦部 2016: 553]。 34) 杉山 2018: 327, 杉山 2020. 35) 杉山 2018: 340-353, 杉山 2020. 36) 杉山 2016: 158-159, 杉山 2018: 349-350, 杉山 2020. 37) 障がい者制度改革推進会議 2010: 1. 38) 同様の指摘として、三宅 2013: 114. 39) 杉浦 2012: 40-41. 40) 村重 2014: 86, 41) 長谷部 2006: 178-179. 引用文献 芦部信喜(高橋和之補訂)[2019]: 『憲法 第7版』(岩波書店)。 新井誠 [2016]: 「第15章 参政権」新井誠・曽我部真裕・佐々木くみ・横大道聡『憲法II 人権』(日本評論社)。 有田伸弘 [2013]: 「『成年被後見人選挙権回復訴訟』についての若干の考察」『社会福祉学部研究紀要』17巻1号。 今川奈緒 [2013]: 「公職選挙法11条1項1号の違憲性と成年被後見人選挙権確認訴訟」『賃金と社会保障』1599号。 井上亜紀 [2013]: 「成年被後見人の選挙権確認訴訟第1審判決」『実践 成年後見』47号。 植木淳 [2011]: 『障害のある人の権利と法』(日本評論社)。 浦部法穂 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