2021年01月27日 お知らせ, 会報誌
日本障害法学会通信 第12号
2020年12月05日(土)
本号の日本障害法学会通信では、第5回研究大会と第5回総会を終えるにあたりまして、河野正輝代表理事及び金子匡良開催校責任者がお寄せ下さったご挨拶文を掲載します。
河野正輝(代表理事)
はじめに、オンライン方式による第5回研究大会と総会を無事終了することができましたことにまずお礼を申し上げます。今回の報告者は、例年の対面方式による報告にも増して周到な準備を重ねられ、それに応えて会員の質疑討論もたいへん密度の濃いものになりました。学会の開催期間は実に24日に及び、この間の会員ページへのログイン回数は358回に上ったと事務局長の報告にあります。
今回のオンライン方式を構築するために川島聡事務局長はじめ事務局が頑張った、そのご苦労は並々ならぬものでした。誠にお疲れ様でした。ご協力をいただいたbiyonfactory社にも御礼申し上げます。
そのオンラインページの構築に相当の費用を要しましたが、法政大学の補助金でほとんどを賄うことができました。法政大学およびお世話をいただいた金子匡良会員に深く感謝申し上げます。
第5回研究大会の成果は、やがて学会誌『障害法』第5号として公表されます。判例研究では、法曹実務家として障害当事者の意思をくみ取り、あるべき法理を見出す努力を重ねられてきた佐々木信夫会員および松澤麻美子会員による報告、ならびに岡田行雄会員および平田厚会員によるコメントをいただき、またシンポジウム①および②では、研究者として長年当該テーマを追究されてきた中川純会員、平部康子会員、引馬知子会員、および北川雄也会員による、最新の情報と深く掘り下げた分析をいただくことができました。これらによって、この間の内外の法と政策の展開のなかで、障害法の視点から注目すべきポイントとその動向が、新たに剔出されるに至ったと考えます。かくして、また新たな知見と考察を学会として積み上げることができました。
翻って、これまでの第1回~4回研究大会の成果を顧みますと、第1回(障害法とは何か)、第2回(①福祉・刑事司法と障害法の課題、②優生思想と障害法の課題)、第3回(①教育権と障害法、②生存権と障害法)、および第4回(①障害差別禁止の法理、②相模原障害者殺傷事件と障害法の課題)というように、大会ごとに重要な基本的論点が取り上げられ、障害法理論の形成が試みられてきました。今後もこの試みが続けられていくことを期待しています。
さらに、この5年間の活動を踏まえて将来を展望しますと、これからは障害法学会の総力を挙げる事業として『講座・障害法』の執筆・公刊に取り組んではどうだろうかと考えます。その企画に取り組むかどうか、講座をどのような構成とするかなどは、次期の新しい理事会の検討事項になりますが、毎年の研究大会と学会誌『障害法』の公刊という活動と並行して、障害法の全体像を世に問い社会に貢献するという活動が、いま求められているのではないかと感じられるからです。
なお、第5回総会をもって第2期の理事会は終了し、筆者は代表理事の任期を終えます。退任に当たり、上記のとおり次期の理事会への期待を申し上げますとともに、会員の皆様のこれまでのご協力に深く感謝申し上げる次第です。
開催校責任者 金子匡良(法政大学)
第5回研究大会・総会の閉会にあたり、ひと言ご挨拶を申し上げたいと存じます。
まずは、オンライン開催という経験したことのない開催形態にもかかわらず、充実したご報告をしてくださった報告者の先生方、および有意義な質問・コメントをお寄せ下さった先生方に心より感謝を申し上げます。また、コロナ禍という困難な状況の中で、研究大会の企画・運営にご尽力くださった理事の先生方、企画委員会の先生方、そして諸般の事務を担って下さった事務局長の川島先生に、衷心より御礼を申し上げます。
今回の研究大会は、本来であれば皆さまを法政大学市ヶ谷キャンパスにお招きし、例年どおりの熱心なご報告と討議を行っていただくとともに、終了後には学内で懇親会を執り行い、親交を深めていただく予定でしたが、コロナ禍という未曾有の事態によって、残念ながらオンライン開催に変更せざるを得ませんでした。その結果、開催校責任者とはいいつつも、実際には何もできぬままに、すべて事務局にお任せする形になってしまい、大変心苦しく思っております。いつの日にか再度、本学で障害法学会が開催され、皆さまを本学のキャンパスにお迎えできることを願っております。
今回の研究大会を通じて、学術的な議論を深めるためには、やはり人と人との直接的な討議が必要であることに改めて気づかされると同時に、オンラインを通じた開催は移動の労を要さず、また時間的制約からも解放されるため、今後の学会の持ち方に新たな選択肢と可能性が拓けたように思います。オンライン開催の最初の開催校となった法政大学が、そのような意味で皆さまのご記憶にとどまれば幸いに存じます。